ポーランドの歴史


ポーランド、その後(1919〜)


 1919年6月に戦勝国とドイツの間でヴェルサイユ条約が調印されて、ポーランドの独立が承認されました。ポーランドはバルト海へ通じる西プロイセンを獲得(ポーランド回廊)し、ドイツは本国と東プロイセンを分断された形になりました。
 
 ポーランドは、1920年からソビエト連邦と戦い、東方に領土を拡大します。1921年3月のリガ条約によって、ポーランドは39万平方キロメートルの領土と2700万の人口を抱える大国となりました。
 
 1933年、ドイツでヒトラー内閣が発足します。ヒトラーは様々な政策を打ち出してドイツの国力を回復させ、1935年にヴェルサイユ条約を破棄します。ドイツは1938年にオーストリアを併合し、翌1939年3月にチェコも併合します。
 
ドイツの占領地域(1942年)
ドイツの占領地域(1942年)
 
 ドイツは、ポーランドに対してもポーランド回廊の割譲を要求しますが、ポーランド政府はこれを拒否しました。1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まります。事前にドイツとソビエト連邦の間でポーランドを分割支配する密約が成立していたため、ポーランドは1ヶ月で降伏に追い込まれました。
 
 1939年9月28日、ドイツとソビエト連邦はポーランドを分割支配(第四次ポーランド分割)し、ポーランドは消滅しました。このときに20万人以上のポーランド人がソビエト連邦に強制連行される途中で虐殺されたと言われています(カチンの森事件)。
 
アウシュビッツ強制絶滅収容所
アウシュビッツ強制絶滅収容所
 ポーランドを占領したドイツはユダヤ人絶滅のための収容所を各地に建設します。当時のポーランドはユダヤ人に寛大な政策をとっていて、人口の約1割を占める350万人が暮らしていました。
 
 一部のユダヤ人はリトアニアに逃れ、日本領事館代理の杉原千畝氏が発行したビザで命を救われましたが、終戦までに数百万のユダヤ人が犠牲になりました。
 
 1941年6月になると、ドイツとソビエト連邦の間で戦争が始まります。1942年以降、ドイツは徐々に劣勢になり、ヨーロッパ各地から撤退を始めます。1944年8月、ワルシャワに進軍してきたソビエト連邦軍に呼応して、ワルシャワ市民が蜂起します(ワルシャワ蜂起)。
 
 しかし、ソビエト連邦軍はワルシャワへの進軍を見合わせてしまい、ワルシャワ蜂起は10月に20万人の犠牲者を出して鎮圧されました。
 
 1945年1月、ソビエト連邦軍はワルシャワを解放します。ドイツ軍は撤退にあたってワルシャワを徹底的に破壊しました。
 
ドイツ軍に破壊されたワルシャワ旧市街
ドイツ軍に破壊されたワルシャワ旧市街
現在のワルシャワ旧市街
現在のワルシャワ旧市街
 
 終戦後、ポーランドは第一次世界大戦後に獲得した東部の領土をソビエト連邦に返還し、社会主義体制に組み込まれます。
 
 社会主義体制のもとで、ポーランドの政治や経済は安定せず、暴動やストライキが頻発しました。こうした状況の中でもドイツや西欧諸国との関係修復が図られていき、20世紀後半に中欧や東欧の共産主義体制が崩壊すると、ポーランドも民主化の流れに乗り、1989年12月に「ポーランド共和国」が誕生しました。
 
1919年 6月、ヴェルサイユ条約でポーランドの独立が認められる
1920年 ポーランド・ソビエト戦争が勃発
1921年 3月、リガ条約でポーランド・ソビエト戦争が終結
1922年 12月、ソビエト連邦成立
1933年 1月、ドイツでヒトラー内閣発足
1939年 8月23日、独ソ不可侵条約を締結
9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦勃発(〜1945年)
9月28日、ドイツとソビエト連邦がポーランドを分割支配(第四次ポーランド分割)してポーランド消滅
1940年 当時、日本領事館があったリトアニアの町並み7月〜8月、リトアニアのカウナスにある日本領事館に赴任していた杉原千畝氏がユダヤ難民に日本通貨のビザを発行
(写真はリトアニアのカウナスにある杉原記念館
9月、カチンの森事件。ソビエト連邦に連行された20万人以上の捕虜が消息不明になる
1941年 6月22日、ドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソビエト連邦と開戦。ドイツ軍がバルト三国を占領
1944年 ポーランドのワルシャワにあるワルシャワ蜂起記念碑8月、ワルシャワ蜂起(〜10月)
(写真はポーランドのワルシャワにあるワルシャワ蜂起記念碑
1945年 1月、ソビエト連邦軍がドイツからワルシャワを解放
1952年 共産主義国家の「ポーランド人民共和国」が成立
1978年 ポーランド、ヴァドヴィツェの生家前に立つヨハネ・パウロ2世像(ポーランド、ヴァドヴィツェ)10月16日、クラクフ大司教のカロルヴォイティワがローマ教皇に就任(ヨハネ・パウロ2世)
(写真はポーランド、ヴァドヴィツェの生家前に立つヨハネ・パウロ2世像)
1989年 11月10日、ベルリンの壁崩壊
12月29日、国名を「ポーランド共和国」に改める
1991年 12月25日、ソビエト連邦が消滅
1999年 ポーランドがNATOに加盟
2004年 ポーランドがEUに加盟
2010年 4月10日、カチンの森事件70周年追悼式典に向かう途中で政府専用機が墜落。大統領夫婦を含む100名近い政府要人が死亡