クロアチア旅行記(ザグレブ)
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新市街の散策
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ザグレブの中心地、イェラチッチ広場にやってきました。この広場の一角にはマンドゥシェヴァツ噴水と呼ばれる噴水があります。この噴水は1987年に造られました。

イェラチッチ広場のマンドゥシェヴァツ噴水
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言い伝えによると、ある時代に兵士を連れた当時の総督がこの場所を通りかかりました。彼らは喉の渇きに悩まされていて、総督は剣を抜いて地面に突き刺します。すると、そこから水が沸き出しました。総督は泉の近くにいた女性に水を汲んでくれるようにお願いしました。この女性のマンドゥシャという名前に因んでマンドゥシェヴァツ噴水と呼ばれています。
イェラチッチ広場の前にはメインストリートのイリツァ通りが走っています。この通りを渡って脇道に入ったところにはプレラドヴィッチ広場があります。この広場にはセルビア正教会と、広場の名前の由来になっているペタル・プレラドヴィッチ将軍(1818〜1872年)の像が立っています。

セルビア正教会 |
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ペタル・プレラドヴィッチ像
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プレラドヴィッチ広場の東隣にはショッピングモールがあります。豪華なアーケードの天井はガラス張りになっていてオクトゴン(八角形)と呼ばれています。ここにはクロアタと呼ばれるネクタイの専門店があります。

オクトゴン
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クロアタ本店
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ネクタイは、このクロアチアが発祥と言われています。17世紀の三十年戦争の時代(1618〜1648年)にフランスの傭兵として戦ったクロアチア兵が首にスカーフを巻いていて、それを見たフランス人がこのスカーフを「クラヴァット」と呼びました。
このスカーフに興味を持ったフランス王ルイ14世がファッションでクラヴァットを身に着けるようになり、ネクタイが貴族の間で流行しました。
ショッピングモールの南側にはズリニェヴァツ広場(ニコラ・ズリンスキー広場)があります。この広場の先は昨日散策したトミスラヴ広場、ザグレブ中央駅へと続いています。広場の名前は、16世紀のクロアチア総督ニコラ・ズリンスキー(1508〜1566年)に因んでいます。

ズリニェヴァツ広場
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ズリニェヴァツ広場
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1566年4月、スレイマン大帝(在位1520〜1566年)が率いる10万のトルコ軍がウィーンを目指して進軍します。ズリンスキー提督は、ウィーンへの進路にあたるハンガリー南部の要塞セゲドを2500人の兵で守っていました。
彼は10万のトルコ軍による包囲を数ヶ月間に渡って耐えましたが、最後はトルコの大軍に突撃して命を落としました。9月8日にセゲドは陥落しましたが、その前日の9月7日にスレイマン大帝も陣没していてトルコ軍は退却します。ズリンスキーの奮闘によってウィーンは救われ、彼は英雄として讃えられました。
ズリニェヴァツ広場の中にはクロアチア科学芸術アカデミー(ストロスマイエル美術館)があります。1880年にネオルネサンス様式で建てられました。残念ながら、今日は月曜日で休館日でしたが、ここにはストロスマイエル司教のコレクションだった14〜19世紀のヨーロッパ絵画が展示されています。

クロアチア科学芸術アカデミー
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考古学博物館
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通りを挟んだズリニェヴァツ広場の西側には考古学博物館があります。残念ながら、ここも月曜日が休館日で入場できませんでした。ここには、先史時代から中世にかけてのクロアチア各地の発掘品が展示されています。 |
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